■先見の明で市場開拓
東亜グラウト工業の社名が日本下水道新聞で初めて登場したのは昭和56年3月の「日本管路維持管理協会」の設立記事でのこと。当時、流域下水道の関連市町村では管きょからの浸入水への対応が大きな課題の一つとされており、この対策技術の普及を活動方針の柱に据えた管路管理業界初の任意団体として設立された同協会のコアメンバーとして名を連ねた。管路管理という業も確立していなかった頃のことだ。
浸入水は、管の破損箇所や施工不良箇所等から管きょ内に地下水や雨水等が流入するものだが、この浸入水を放置すれば下水処理場に計画量以上の下水が流れ込んでしまい、処理費用の増大、ひいては下水道経営をも逼迫させる。このことに関しては40年経った現在でも研究発表の場や国の政策でも真っ先に議題に挙がる関心事の一つとなっている。昭和56年といえば下水道普及率がようやく30%台に達したばかりで、依然として管網整備が事業の中心をなしていた時代。この分野の成長にいち早く着目した先見の明が光る。
続く昭和57~60年には企業活動の領域を拡大して日本下水道事業団や奥村組らと共同で「管被膜工法」という推進工事の際に浸入水対策を講じる技術を開発。平成元年にはイセキ開発工機と共同で従来の薬液注入方式による止水工法に代わるものとして「スナップロック工法」を開発するなど、管路事業の黎明期ともいえる時代から数々のアプローチを続けてきた。
現在ではこれらの開発技術の多くがロストテクノロジーと化してしまったのは事実だが、スナップロック工法については30年を経た今も最前線で活躍するほか、同工法を雛形として耐震化技術へと派生した「マグマロック工法」「マグマロック工法NGJ」は、国土強靱化政策を強力な追い風に飛躍を続け、今では同社管路事業の一翼を担う存在となっている。
平成元年4月の記事には、大岡伸𠮷東亜グラウト工業会長(当時)名義にて、今後の維持管理分野の行く末についてのコメントが語られている。「(業界での人材不足の指摘について)だからこそ、管路の維持管理面での機械化、ロボット化をはかっていかなければ。この辺にビジネスチャンスがありそうだ…」
ICT・AI技術の進展により現実味を帯びてきた現在ならともかく、30年以上も前からこのことを予見・提起してきた先見の明こそ、東亜グラウト工業という企業が、栄枯盛衰が常の業界において今も確固たる地位を築き上げてこられた所以ではないだろうか。