ー道を拓く、300年企業を目指してー
【後篇】
長谷川氏が社長に就任してから四半世紀以上の月日が流れた。会社の売上高は200億円規模となり、誰の目から見ても3代目として会社、そして業界の発展に大きく貢献してきたと言えるだろう。
業界のリーディングカンパニーである管清工業のトップであるからこそ、自社の利益だけを追い求めるのではなく、業界全体のことを考えなければならない立場でもあると長谷川氏は言う。
同氏が約20年にわたって会長を務める日本下水道管路管理業協会(以下、管路協)は、管路管理に必要な技術資料等の作成、「下水道管路管理技士」の認定、災害復旧支援など下水道管路施設の管理を図っていくという公共の利益を主体として活動している公益法人。会員企業(正会員・賛助会員含む)660社を超える大所帯だ。
業界を先導する立場として意識していることについて聞くと、「初代社長である祖父・正氏は僧侶で、仏教の精神を持った人であった。業界を繫栄させることで自分も食えるようになるという考えで、一人勝ちはない。同業者と一緒に成長していく方法を常に考えている」のだという。まさに共存共栄による業界の繁栄こそ、自社の成長につながっていくという長谷川家に受け継がれてきたDNAといっても過言ではない。
この四半世紀を振り返り、「作業の手順や仕様、専門機材の開発、報告書の作り方など管路管理の標準的仕様を整備したことで業界に貢献できたと思っている」と話す。ただ、管路管理分野の標準化までを整備したに過ぎず、管路機能の持続へまだまだなすべきことは尽きないという。「これまでの維持管理は発生主義。いわゆる管内に土砂がたまったら清掃する、陥没したら修繕するといったように、事が起きてから対応するというのが一般的だった。しかし、今後は予防保全型の管理を目指している」「これまで蓄積した経験とデータをうまく活用すれば、必ず予防保全につながる。事が起きてから対応するより、予防保全に取り組んでいれば、費用も3分の1程度で済む」と大志を抱く。
自社を成長させる傍ら、長年にわたって業界を見つめてきた長谷川氏。今の業界に足りないところは「管理の時代にもかかわらず、そのプロがいないこと」だと強調。「官も民も予防保全まで考えることができる『人』を作っていかなければならない。われわれももっと成長する必要がある」と熱い思いを吐露する。
長谷川氏からたびたび聞く言葉がある。「300年企業」という言葉だ。この言葉には、祖父・正氏の教えでもある「目先の利益を追いかけるな」という思いが込められているのだという。「人間はどうしても目先の利益に目がいってしまう。でも『管理』という仕事は作って終わりではなく、ずっと続くもの。小さな仕事でも誤魔化したり、目先の利益優先で動いたりすると、それは後々自分たちに返ってくる」と自戒を込める。
象徴的なエピソードとして長谷川氏が語ったのは、とある自治体から依頼された合流管の清掃業務でのこと。「清掃の翌日に大雨が降って、管内に土砂が流入してしまい、台無しになってしまった。翌日に降った雨だからといって『関係ない』で済まされるというものではない。たとえ原価が2倍になっても、契約上は再清掃が必要なくとも、もう1度清掃する。先代も初代もその感覚は同じ。きっと二人とも同じことを言うと思う」と語る。
また、長谷川氏が大阪支店長だった頃、とある管更生の現場で少しシワができてしまい、現場からやり直したいと言われたことがあったそう。大阪を統括する立場として、厳しい原価管理をしていたが、「自分たちが満足できない仕事だと思うならやり直しなさい」と言った。そして、それは次の仕事できちんと返ってきた。300年続く企業というものはそういうものなのだと長谷川氏は言う。
300年企業に向けて、「社会貢献」へのこだわりも強い。そうした姿勢が評価され、これまで業界内外で数々の賞を受賞してきた。その中で、特に思い入れのある賞は、「第1回(平成20年度)循環のみち下水道賞」だという。「それまでこのような賞は自治体が中心だったので、受賞できて本当に嬉しかった。道が拓けたような気がした」と懐古する。
受賞内容は、あらゆる世代・地域を対象とした下水道の出前授業。知り合いから紹介された茨城国際基督教大学の先生から社会福祉心理学という学問の中で下水道の出前授業をやってみたらどうかと提案を受けたことが始まりだ。子どもに教えることで、それが親に伝わるという心理学の手法で、親に直接伝えるよりも波及効果があると教えてもらい、同大学で下水道の出前授業をやることになった。そこで学生からすごくいい反応をもらえたこと、また社会福祉心理学で伝えることに自信を持つことができた。
当時は「循環のみち下水道賞」の審査員にお笑いタレント・映画監督などを務めるビートたけしこと北野武の兄である明治大学理工学部の北野大教授もいた。そういった下水道界にとどまらない、多様な面から評価されたことで、こうした取組みを自社でやっていくべきだと確信した。その後、横浜市内の小学校で授業を行ったことで、教員やPTAなど横のつながりで噂はどんどん広がっていった。それに続くように全国の自治体の下水道部局からの見学者も増えた。その結果、同社の出前授業を受けた青少年の数は2007年から累計9万5000人以上に上る(2024年10月31日時点)。草の根活動を地で行く取組みだ。
下水道や事業を認知してもらえれば、道端で工事をしていても眉を顰められるのではなく、「ご苦労さま」と言ってもらえる。つまりこれは間接的に社員に還元される。そう信じて進めてきた。長谷川氏の直感の通り、同社の取組みは文部科学省が主催する令和5年度「青少年の体験活動推進企業表彰」において最高評価となる文部科学大臣賞を受賞した。
その傍ら、こうした出前授業や、環境問題に対する取組みを自由に行うことができる組織を作りたいと思い、2022年に「環境清正財団」を設立。民間企業は営利を追求しなければならないが、財団法人(2023年に公益財団法人認定を取得)であれば利益を生まなくても活動することが可能になる。利益を追求する企業活動とそれを考える必要のない財団という2本柱で同氏の思いを形にできるのである。
この「清正」という名前は、創業者である祖父・正氏と2代目の父・清氏の名前からとったものだ。祖父の教えを継承していきたいという理由で名付けた。長谷川氏の名前「健司」と合わせて、3代で「清く正しく健全に」がモットー。「グループで哲学を決めておけば、ぶれることはない」と長谷川氏は言う。
2022年には厚木市内に「厚木の杜 環境リサーチセンター」をオープン。「災害支援をしている中で、訓練の必要性を感じたことに加え、災害時の拠点が必要になると思った。さらに、災害支援の研修だけでなく、通常の管路管理の研修もできるような施設を作ることで業界への還元になり、周辺住民の避難所としても使えるのではないかと閃いた」と語る。
そんな長谷川氏が災害対応を意識したのは、平成5年1月15日に発生した釧路沖地震。管路協の技術委員として災害状況の視察に行き、支援に関わったことがきっかけだったという。その後、大阪支店長を務めていた平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が発生したのである。
管路協としては、前線基地責任者に同社の鈴木敦夫氏(当時)を任命。長谷川氏も支店長として人員の采配などを担った。当時は、今ほど支援体制が出来上がっていないこともあり、管路協と管清工業の両方で仕事を受け、人を派遣していた。それまでも災害支援は行っていたが、各社それぞれで請け負っていたので、管路協として災害支援の体制ができたのがこの阪神・淡路大震災であった。
災害支援に関わる上で最も大切にしていることは「初動」。初動でどこまで動けるかがその後の復旧に大きく影響するのだという。災害支援では、地域的な「縄張り」意識がネックとなることも多い。地域の権益を侵さないように、そこをどう見極めるか。その見極めと災害の規模を見て体制を考えることが必要なのだと説く。
長谷川氏曰く、同社の社員は「被災地などさまざまな現場に行く機会があるが、誰一人嫌な顔をしない。社員一人ひとりがそれを使命だと思ってくれている」と誇らしげに語る。
「先日、とある自治体で溢水の対応をしたが、自治体の担当者から『管清さんは誰一人嫌な顔しない。ありがたい』との言葉をもらった。当社の社員は何かあると、特殊な機械でも大きな機械でも採算度外視でとりあえず持っていく。まずは現場に行って問題を解決しようというメンタリティを持っている」「『困った時の管清工業』でありたい。どんな現場でもわれわれがやらなければならないんだと先輩たちが背中で見せてきた」と嬉しそうに話す。
2025年1月には、八潮市内で大規模な道路陥没事故が発生。長谷川氏は、同種・類似の事故の再発防止に向けて、国交省が立ち上げた「下水道等に起因する大規模な道路陥没事故を踏まえた対策検討委員会」の委員も務める。同委員会では重点的に点検を行う対象や頻度、技術など点検のあり方、道路管理者とのリスク情報の共有のあり方、今後の維持管理・再構築を支える制度のあり方などについて検討が進められている。
メンテナンスのあり方に警鐘が鳴らされる今、管路管理のリーディングカンパニーである同社の行く末に注目が集まる。
長谷川氏と出会って約10年。これまで何度となく、同氏の物事の考え方や、事象と事象のつなげ方に驚かされることがあった。急に「厚木の土地を買ったぞ!」と聞いた時は、(失礼ながら)気まぐれ、はたまた道楽くらいに思っていたのだが、数カ月後にはその土地は立派に整備され、研修施設や記念館、データセンターとなり、そして、地域に愛される防災拠点となっていた。これ以外にも同氏がポロっと話した一言が後に大きな事業につながることも多い。
複数回に及ぶインタビューを通して長谷川氏の人生をあらためて紐解くことで、祖父・正氏から受け継いだ仏教の精神や、父・清氏へのライバル意識、アメリカで養った自由な発想――その全てが現在の長谷川氏を作ってきたのだとわかる。
幼少期から波乱万丈、人とは異なる道を歩んできた同氏の70年以上にわたる人生をまとめるのは簡単ではなかった。まだまだ書きたいことはたくさんある。四半世紀以上にわたり下水道業界をけん引し続けてきた管路管理の先導者の軌跡を一人でも多くの人に伝えることができれば幸いである。