出前授業から学んだこと
長谷川氏は、下水道事業に広報の重要性を根付かせた第一人者だ。技術が発展し、安全な作業環境が実現しても、「きつい」「汚い」「危険」のいわゆる「3K」と誤解され、エッセンシャルワーカーであるにもかかわらず、建設中心の下水道事業の中で管路管理業の認知度が低かったことも無関係ではなかったであろう。「広報は事業を理解してもらうために必要な最初の段階。下水道事業に携わる者にとって一番大切なことは広報活動である」と繰り返して発言してきた。
長谷川氏はもともと、前向きな提案には理解が深く、判断・決断・行動が非常に速い。その言葉通り、平成19年4月、同社のCSR部門として、出前授業を専門的に行う「管路管理総合研究所」を設立。設立から1カ月後の平成19年5月から小中学校などの教育機関を対象に、民間企業として初めて出前授業をスタートさせた。今日まで10年以上、派手さを求めず地道な広報活動を続け、今年6月、全都道府県で授業を実施するまでに至った。長谷川氏の考える広報活動は、事業を理解してもらうための単なる発信活動ではない。コミュニケーションを大切にした広報である。
過去には自ら出前授業の講師を務めたこともあった。その時の印象的な出来事としてある女子校でのエピソードを挙げる。出前授業を始めた当初は、水循環についてリアルに伝えたいという思いが強すぎて、「皆さんが飲んでいる水のもとをたどれば、実はクレオパトラのおしっこかもしれない」と話したそう。すると、学生たちは想像以上に驚き、少し引いてしまったように見えたという。この光景を目の当たりにしたことで、「相手に寄り添った伝え方をしなければ、本当の意味で伝えることはできないと思った」と話す。こうした経験から、出前授業を担当する社員には「下水道について勉強しなくていい」と伝えている。この言葉の裏には、「専門家になると、学生からの素朴な疑問に素直に答えられなくなってしまう」という思いが込められている。
また、ある授業で、「髪の毛や食べ物、油を下水道に流してはいけない」と伝えた。ごく当たり前のことを説明しただけだが、学生から「ならばトイレで嘔吐してはいけないのか」と逆に問われたそうだ。これに対し専門家であれば、どう回答すればよいかあれこれ考えてしまいがちだが、その授業を担当した社員は咄嗟に、「気持ち悪くなった時は気にしないで吐いていいんだよ」と答えたという。このエピソードを聞いた長谷川氏は、「知識の押し付けはいけない」と、その社員の対応を高く評価すると同時に、出前授業を単なる説明の機会ではなく、コミュニケーションから学びにつながるよう、もっと進化させていかなければならないと実感したという。
「出前授業をしたからと言って、すぐその場で下水道の大切さを理解してもらおうとは思っていない。大人になった時にふと思い出して、『汚れた水をきれいにするには多くの人が関わっている』『下水道管を維持することにはお金がかかる』、そういったことに目を向けてもらえるように貢献していきたい」と焦ることも、凝り固まることもない。こうした地道ながらも小さな進化を続けていく柔軟な発想が、今日に至る同社の確かな基盤を築いているのだ。