ソフトシール仕切弁の歴史
横浜に近代水道が創設された1887年からしばらく、制水弁(現在の仕切弁)にはイギリスやアメリカから輸入したものが使われていた。国産品は生産体制が整った1900年頃から採用され始め、徐々に外国産のバルブは姿を消していったとされている。
当時から今に至るまで、仕切弁の基本的な構造は変わっていない。管路と一体化した「弁箱」の中に水を遮る「弁体」が入っており、弁体は上部に取り付けられた「弁棒」の操作(回転)によって上下する。下がりきった弁体は弁箱底部の「弁座」と密着し、管内の水の流れを止める。
止水のメカニズムや塗装といった細部についても、近代水道創設からおよそ100年の間、国内の仕切弁に大きな変化はなかった。そして迎えた1980年代、それまでの常識を覆す存在として現れたのがソフトシール仕切弁である。
旧来の仕切弁は弁箱底部に設けた溝(くぼみ)を弁座とし、そこに金属製の弁体を挿し込むような形で止水していた。しかし、この溝には水道水中のわずかな錆や砂などの異物がたまりやすい上、段差によって乱れた水の流れが管内面の付着物をこそぎ落としてしまう。これが当時、全国の水道で問題となっていた「赤水」の一因だった。
一方でソフトシール弁の弁体は、本体こそ同じ金属製だが、それをゴムでくるむゴムライニングが施されている。ゴムの圧着により止水することで、弁箱底部の弁座は段差のないフラットな形状を実現できる。もともとは1960年代にヨーロッパで開発された技術だが、80年代に国内へと導入される際には、併せて防食性や施工性に優れた「エポキシ樹脂粉体塗料」を内面塗装に採用。その後のソフトシール弁の急速な普及は、恒常的な赤水の解決に大きく貢献したと言える。